2008年2月3日日曜日

world -dive to the sunset- 02


一昨日、昨日、今日はオープニングの大盛況の裏返しか、ぼちぼちの入場者であった。



金曜日は夜の特別開廊が行われ、土日に来られない方々のために
開かれていたが訪れた方はお一人だけ。
残念ではあったが、ほとんどの時間をフェチの方々と作品の講評をして有意義な時間を過ごす。

講評如何では全くない話だが
言葉が私に届くのは、私の傲慢が貫けなかった証明となる。
そしてさらに、この時すでに私はその事を知ってしまっていた。
これは痛いことに気づいた。それは作品が言葉に落ちてこない理由でもあるだろう。
作品と概念を提示するに必要な事を考えさせる良い講評会であったが、解決すべき問題は表象にはすでにない事が明らかになっていた。


土曜は御年配の方々のラッシュとなり、様々な角度からのご意見をいただく。またいろんな経験談、体験談を知ってらっしゃるからおもしろい。そんな御年配デー。


今日は静岡や愛知からおいらの友人知人の方々が、雨の中来てくださる。
つまり御知合いデー。本当に知り合いばかり。足下の悪い中遠方より。
とても嬉しい。



写真はそんな友人達が作品内でくつろいでいる様子。この作品内でこんだけくつろげるとはすごいと
作者は思う。わっはっはっは



これは誕生の話。

最初に画廊の三階を訪れた時に見た光景。夕日が朱く染め上げた私と世界を見て、
この場所から臨むにはそれがふさわしいと考える。
視界に広がった力場のイメージを再現ることを目的として制作を始めた。

それはそのままの光景でなければならず、作り込むことと、我が入る事を拒絶する。

しかしそれは不可能な事でもあるのは明白で、現場性と共時性のみに開かれるものだけは例外とした。

そして色には誕生の記憶が添加され、概念には体液と塩が添加された。
さらに体液には水と海の揺らぎが添加され、ここには夕日と生命が重なり合う場が設けられた。

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